G級入門指南・0
同じ団の方がG級に上がられたので、G級剣士装備の入門を指南する記事を書いてみることにしました。
取りあえずはG5.2段階の情報による組み立てなので、後々時代遅れになっていくこともあると思います。
また、私はなにぶん今春開始の新米ですので、まだ知らないことも沢山あります。
しかし、あえて既存の情報、及び経験の整理と共に、これからG級に上がりバリバリやりこもうというハンターのみなさんの参考になることを願って、ここに記事を立てることとします。
まずは、防具とスキルの組み立て方です。
G級では、防具と発動スキルを以て大別して四つの段階に分けられます。
1. エントラ装備
最初に、ナビに従って入門防具のエントラ装備を作り装備します。これが1の段階。
この段階でG級自由区の野良に出ると、嫌がる人もいるので要注意です。
2. セミエントラ 及び 剛撃3一閃1烈2相当
1の段階にFX~G防具等を混ぜた”セミエントラ”から、それをそのまま強化し、あるいはGX防具を他にも混ぜて、剛撃3一閃1烈2で烈武器に対応した、G級自由区の野良であっても指定無し募集ならまぁまず寄生とみなされないであろう装備となる2の段階。
3. 剛撃5一閃1 及び 攻絶一閃3
一線級のGX防具にG装飾品を嵌めて作る、G級自由区の野良の指定あり募集のそれなりのものに乗れるようになる剛5一閃1及び攻絶一閃3を備えた3の段階。
人口としては、長年続けてやってこられた方以外では、この段階で秘伝装備の作成中の方が現状は多いと思います。
私も今はこの段階ですね。
4. 攻絶一閃3相当+秘伝珠
秘伝と同時に剛撃5一閃1も出せるという話を聞きますが、実際は各種攻絶相当のスキルを発動させ、一閃3で火力を補う形の方が、スキルに余裕が出ると思います。
有名どころでは絶対防御付きの「前貼りテンプレ」などもありますね。
では、次の記事よりエントラ装備の作り方から、解説を開始いたします。
(10月7日朝、誤字修正をしつつ改稿)
夢想は続くよどこまでも
カフ: G一閃カフSA6 ●
武: 気短珠G ○ ○
頭:ジェビアGXヘルム Lv7 355 ジェビア剣珠GX3 ジェビア剣珠GX3 ジェビア剣珠GX3
胴:ヴァイスGXムスケル Lv7 401 雅淵射珠GX1 雅淵射珠GX1 雅淵射珠GX1
腕:ジェビアGXアーム Lv7 393 雅淵射珠GX1 雅淵射珠GX1 ディス剣珠GF
腰:ヴァイスGXナーベル Lv7 390 体術珠G 穿凰珠GX・朱雀 穿凰珠GX・朱雀
脚:オディバGFグリーヴ Lv7 291 穿凰珠GX・朱雀 穿凰珠GX・朱雀 穿凰珠GX・朱雀
防御力:1831 火耐性:16 水耐性:2 雷耐性:13 氷耐性:6 龍耐性:-3
発動スキル
一閃+3,穿龍棍技【穿凰】,見切り+4,絶対防御態勢,真打+3,ブチギレ,業物+2,剣術+2,薬仙人,早食い,格闘王,
剛撃5一閃1威光2絶対防御装備
ディス・バルカンが想定より遥かに早く来てしまったこともあり、私の手持ちで早期に出来る剛撃5一閃1の出る威光2絶対防御装備を備忘がてら記事として挙げておきます。
カフ: G炎寵カフSB1 ●
武: ○ ○ ○
頭:猟団員の証GX【剛閃】 Lv7 290 グレン剣珠GX2 グレン剣珠GX2 バルカン剣珠GX3
胴:IS学園GPスーツ・白 Lv7 312 グレン剣珠GX2 グレン剣珠GX2 グレン剣珠GX2
腕:バルカンGXクロウ Lv7 425 グレン剣珠GX2 グレン剣珠GX2
腰:ヘッジGXフォールド Lv7 388 グレン剣珠GX2 ブレオ珠GF
脚:ディオレGFグリーヴ Lv7 311 ルナ剣珠GX1 雅淵射珠GX1 体術珠G
防御力:1727 火耐性:7 水耐性:5 雷耐性:4 氷耐性:3 龍耐性:0
発動スキル
見切り+5,剛撃+5,ブチギレ,豪放+3,絶対防御態勢,紅焔の威光+2,斬れ味レベル+1,早食い,一閃+1,格闘王,集中+2,
これでディスを戦い抜いてなんとかせめてディスGF珠5個分の素材を揃えたいものです。
『戦国策』
間髪入れず中国史シリーズ第二回。
まずはこんな感じで後に書く記事のソースとなってくるあたりの由来をはっきりとさせていきます。
どんな人が書いたの
戦国の諸子百家の時代、記録として様々な人が書いた書物があったようで、それを分かり易く編修して一つの本に纏めたのが錬金術師として(ある筋に)有名な劉向です。様々な業績を残しています。『列女伝』という書物を記して「外戚禍」を最小限にとどめようと努めたり、色々人とは違った感性をしていたみたいですね。この人の息子が王莽の外戚かつブレーンでしかも博物学に秀でていた劉歆となります。おそらく王太后が璽を投げつけ禅譲に反発したことも、『列女伝』に影響された面は多分にありましょうから、当時の情勢というのは実に皮肉なものであったと思います。更に皮肉なのは、その劉歆が変名の劉秀という名前を記した図讖を用いて反乱を起こした上、新野閥の流れ的に王莽の寵臣の一人になりそうであった光武帝(同名の劉秀)が王莽を裏切ったときに再利用される流れですが。
どんな本なの
所謂戦国時代を描いた本であり、この書名がむしろ時代の呼称の由来ともなりました。ただ、あくまで記録ではなく遊説家として活躍した人々の意見が中心となって編纂されている面はあるようです。また、あくまで編纂であるため、時代性に意見が左右されている司馬遷が書いた『史記』よりも信頼性及び客観性が高いという意見も根強くあります。
『史記』
誰にも望まれてないかも知れないし、もしかしたら紅葉あたりが暇な時に読むだけになるかもしれない中国史記事シリーズ第一回。
とりあえず取り上げる史書や著者の来歴、略歴についてつらつらと書いてまいります。
以下、用語も徐々に解説を入れてまいりますので、ここが分からないなどあれば御要望あれ。
どんな人が書いたの
西漢(前漢のこと)の、天文や災害の異常や歴史を記録したりする官についていた司馬氏が二代で書き上げたことになっております。有名なのは息子の司馬遷の方ですね。中島敦の小説で有名な李陵を擁護して武帝にチンコを切られました。そのせいか李陵の対匈奴攻防戦は原文でもやたら気合が入った文章になっています。李一族周りは大体物凄い気合の入りようです。余談ですが空の馬車を用いて障害物にして騎馬の足を止めて遠くからボウガンでボッコボコにするというえげつない手法は、戦国趙の李牧(キングダムの敵国イケメン軍師様)が作り上げた騎馬民族を防ぐセオリーです。この人は同族ではないみたいです。(隴西の李一族は秦人で、キングダム主人公の李信の子孫だそうですからね。揚雄の「方言」によると、西漢代はまだ言語その他で戦国の各国が相当隔絶されていたようです。)
ちなみにこの戦法は後に曹操なども国内戦で使ってました。
どんな本なの
大体神話の御世から武帝時代までを紀伝体という、後の中国の史書の基本となる書き方で綴りました。秦代については前代であるから貶されていると簡単に解釈される方が多いですが、実情としては始皇帝はそんな簡単には括れない非常に複雑な描かれ方をしています。後に始皇漢武などと併称されて同一カテゴリに入れられがちの西漢武帝の時代に生きた著者である司馬遷は、具体的な筆法の模範を持たずに、この手法が継承されることを想定せずに書いていることを忘れてはいけません。始皇帝はある程度武帝を間接的に批判する目的がまざった描写となったのが実態であるようです。また、近年になって始皇帝の功績とされる事業の中で一部は二世皇帝の時代になされたものが混ざっていることが分かってきました。毀誉褒貶様々なところでなぞらえられたところ、また教訓話としての筆法によって功績が滅亡の前代に移管されることがあると思うので、そこら辺は注意して読むべきでしょう。