黔驢之技

MHFや中国史、野球などについて書いていく予定のブログです

中国史記事について

 私が辛うじてそれなりに背景等説明できる範囲の翻訳とかは大体ネットの中国史ファン界を背負ってきた方々がやってらっしゃるのでどうしようかと思ったんですが、あえて自分なりに広義の「史漢」「三史」範囲から取り上げてみようかと思います。

 優良テキストも中国サイトでタダで拾えるし。

 まずはプロフで一番好きであると高言致しましたる、漢の高祖の時期周辺を中心としてみていくことになるかとは思います。三国志ファンの方は「こいつの先祖こんなことしてたのかよ!」みたいに捉えて頂ければ、幸いでございます。ちなみにそのものずばり子孫を名乗ってる例もありますが、割と本籍地と姓氏が合致していれば曖昧に同族と捉えてもらって構わないみたいです。

 

 現在はMHF絡みのかたしか来ておられないと思われるため、中国史初学者のためあえて解説致しますと、「史漢」とは『史記』『漢書』のことを指します。もしかしたら日本史を専門でやっている方もこの用語は御存知かも知れませんが、この二つの史書は歴代で変わらず重んじられてきたせいか、特別の呼称がついています。

 これに戦国時代をとりあげたことで時代の名称の由来ともなった『戦国策』、あるいは主に後漢を取り上げた史書を加える「三史」という呼称もあります。この後漢を取り上げる史書については一定していないものの、後漢の欽定史書であった『東観漢記』が六朝の頃、最初にそう呼ばれました。後に前漢宣帝の子孫であり、世界でもおそらく有数の早さとなるひねくれたものの見方史料批判を行った唐の劉知幾が、その著書の『史通』の記述において、後漢政府の部門で書き上げられた『東観漢記』や、その記事を参考として書かれた『後漢書』の客観性に疑問符をつけたために、唐の皇太子であった李賢が注釈を付けた李賢注『後漢書』が『東観漢記』に代わって「三史」に含まれ、今にいたることになります。もっとも、今は『東観漢記』の、編纂場所が蘭台から東観へとうつり、朝廷の権威が低下した章帝以後に編纂された部分の信用性については、そこそこ見直されてはきているようです。

 

 以下、私見で本題が行方不明なので段落をかえますが、個人的には高句麗側の記録(高句麗の子孫を名乗る王建が建てた王朝である高麗の欽定史書である『三国史記』)に簡潔ながら後漢の軍事行動の根拠が残っていた「後漢高句麗征伐・支配下編入」が、『後漢書』現行版本には軍事行動の側面がほぼ存在していない(実は現行版本だと、およそ戦争開始の時期から、高句麗の敗戦と同時期に光武が自ら青州行幸しているところまで、光武の足跡がまるまる飛んでいるのです。本紀は国家の全体的な行動にも言及しますから、『三国史記』の「漢光武遣兵渡海……」部分については、当時の青州及び楽浪で何かがあったという記述があってもおかしくないと思うのです。)ことについて、今まで為されてきた『後漢書』批判とは逆の方向にも曲筆があることを疑っても良さそうな気も致します。(「独り光武の美を為した」ばかりではなく、例えば政変で立場を失った一族の功績が消えた結果、全体的な国益事項が隠されてしまった可能性などです。)

 まぁ、『後漢書』記事の信頼性の問題については、『史通』に書かれているとおりに、更始帝の愚行等について「非主流皇族であった劉秀の皇位正統化のための、記録における敵性戦力首脳の人間性の矮小化がなされているだろう」であるとか、「蘭台及び東観内部の政治的な綱引きの結果の問題点」という観点に立って記述に疑問符を持つ、にとどめておくのが無難であるように思います。更始帝以外の例でいえば、例えば河北の王郎(随分と適当な名前です)は本当に漢皇族ではなかったのか、という点などについてですね。これが、カエサルのガリア遠征の曲筆のごとく数字がおかしいなら分かり易いのですが、実のところ曲筆による持ち上げ方、貶し方も時代によってゆれがあって断定できないのです。時代による修辞技法の発達による問題もあります。

 歴史の物事に白黒がつかないことをどうしても不安がられる方が多いのですが、歴史については記録の多い近代に近づいてさえ、それどころかむしろ現在進行形の問題の評価にいたってすら、現実問題として白黒は付きにくいものですから、諦めるしかありません。中国の正史に限らず全ての史料に言えることですが、時代を遡るほど原史料とは言いがたい物が多く、全ての史書が意図を持って書かれている以上、ある程度は曲筆があることを前提にしつつも、またある程度は当時の史料編纂の態度に信頼をおいて読み解いていくほかない部分も多々あります。

 『後漢書』現行版本は、『史通』成立後に、李賢によって未発達であったとはいえ当時なりの史料批判を経た上で、様々な注釈が残され、採録されているわけですから、「注釈を含めた上で」の、全体的な記述を尊重するのがよいと思っていたりします。